2018年3月31日土曜日

【時習26回3-7の会 0698】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之四 春〔第8回〕』」「03月17日:『深川芭蕉庵関連史跡と6つの美術館・企画展を見て〔第2回〕』を巡って」「03月24日:『大学弓道部OB総会&大学女子部1部league昇格祝賀会』に参加して」

■時節は『春分』。春の彼岸も過ぎ、拙宅の中庭に咲く春の花木の「杏子」「花桃」「李」「海棠」の花も見頃となって来ました。
 皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0698】号をお届けします。
 今日最初の話題は、『猿蓑』〔巻之四〕『春』の〔第8回〕目をお届けする。
 今回は、巻之四『春』の、発句全118句のうち第86句~97句についてである。
 では、どうぞ‥

【 松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之四〕『春』〔第8回〕】

   猿蓑集 巻之四
 
  畫讃(1)
 
(1)畫讃::この画について不詳

86 山吹や宇治の焙炉(はいろ)(1)の匂(にほ)ふ時  芭蕉

【意】山吹色の花が満開で実に美しい/すると何処からか、宇治茶を焙る香ばしい香りが漂って来る/実に風流があっていい
【解説】元禄4年春の作/宇治川には「山吹の瀬」という山吹の名所があるという
 山吹の一枝を簡素に墨絵で描き、此の句を賛した芭蕉自画賛が現存する
(1)焙炉:摘んだ茶葉を蒸したものを、焙(あぶ)り乾(かわ)かしつつ揉()み捻(ひね)り茶を製造する爐の一種

87 白玉(しらたま)の露(つゆ)にきはつく(1)椿(つばき)かな  車来

【意】露が白い椿の花弁について際立って美しい


【解説】―
(1)きはつく:際立つこと

  わがみかよはくやまひがちなりければ、
  髪けづらんも物むつかしと、此春さまをかへて

88 (かうがい)(1)もくしも昔(むかし)やちり椿(つばき)  羽紅


【意】こうがいも櫛ももはや女の身だしなみをするものは昔話となった/恰も椿の花が散る様(さま)に似ている
【解説】剃髪して尼となった羽紅が、自分を散り椿に思い寄せた一句
 元禄06年正月27付、小川のあま君(=羽紅)宛芭蕉書簡があり、芭蕉は此の句の詞書に言及し、羽紅のことを「ただ心のあはれ成あま」として嘆賞している
(1)(こうがい):男女共に髪を掻き揚げるのに用いる具/箸に似て、銀・象牙等でつくる

89 蝸牛(かたつむり)(うち)かぶせたるつばき哉(かな)  津國山本坂上氏(1)

【意】椿の花がポトリと落ちて、丁度、下を這っていたカタツムリの真上に落ちた/その所為でカタツムリが見えなくなった


【解説】―
(1)坂上氏:摂津山本の植木職人

90 うぐひすの笠おとしたる椿(つばき)(かな)  芭蕉

【意】百歳の家を訪れると鶯の声が聞こえ、庭には椿の花が咲き競っている/
 木の下には無数の椿の花が落ちていたにちがいない/
 この椿の花は、鶯が落とした笠なのであろう
【解説】元禄326日/伊賀上野の西島百歳亭にて/
「青柳をかた糸によりてうぐひすのぬふてふ笠は梅の花笠」(古今集/巻二十)をはじめ、梅花を鶯の笠に見立てた古歌は数多い/
 が、それを椿花として、椿花が散椿となる様(さま)を詠んだ処が俳諧の妙

91 はつざくらまだ追々(おひおひ)にさけばこそ  伊賀利雪

【意】桜の中ではじめに咲いた花を初桜というのは、後から次々と咲けばこそなのだ
【解説】―

  東叡山(1)にあそぶ

(1)東叡山:上野寛永寺

92 小坊主(こぼうず)や松にかくれて山ざくら  其角

【意】山桜が咲き、小坊主らが忙しそうにしている/庭の松のかげに入ったり出たりしている
【解説】其角の『雑談集』ね元禄03年春(32)上野東叡山輪王寺の門跡薨去に拠り、鳴物停止のことなどがあった翌年のこととして、「其去年にかはりて、山のにぎはひ又更也」と記して、この句をはじめ花見の句を挙げる

93 一枝はおらぬもわろし山ざくら  尚白

【意】桜を見に行って来たといって家に帰っても、その感動を伝えることにはならない/矢張り一枝は折って持ち帰らないと‥
【解説】山の桜を見てよめる「見てのみや 人に語らむ 桜花 手ごとに折りて 家づとにせむ(【意】ただ見て帰るだけでは、此れ程の桜の美しさは人に語り尽くせるものではない/めいめいが花を折って手土産にするとしよう)/素性法師〔古今集/春歌上55〕」を踏まえるか

94 (にはとり)の聲(こゑ)もきこゆるやま櫻(ざくら)  凡兆

【意】山桜を求めて山里深く分け入った処、鶏の声も聞こえる山里に来た
【解説】―

95 眞先(まっさき)に見()し枝(えだ)ならんちる櫻(さくら)  丈艸

【意】今、散っていく桜の花/あれは私が真っ先に開花を見届けた枝の花だ
【解説】―

96 有明(ありあけ)のはつはつに(1)咲く遅(おそ)ざくら  史邦東叡山

【意】彌生も末の小さな有明の月/遅咲きの桜と月が初めて会った
【解説】―
(1)はつはつに:微(かす)かに

97 常斎(じゃうとき)(1)にはづれてけふは花の鳥  千那

【意】桜花が咲いて花に戯れる鳥になった様な気分でいたら、「常斎」の予定を忘れて一食抜いて仕舞ったヨ
【解説】―

(1)常斎(じょうとき):毎月日を決めて同一檀家に招かれて読経をあげ、食事の布施を受ける僧侶の行事/作者の千那は、此れを受ける側になる近江国堅田「本福寺」僧侶

【小生comment
 猿蓑「巻之四/春」も、残す処、あと2回だ。お楽しみに!

■続いての話題は、前《会報》に続いて、去る0317()に『深川芭蕉庵関連史跡数か所と6つの美術館・企画展を見て来た模様の3seriesの今日はその第2回目をお届けする。

 今日お届けするのは、以下の全行程のうちの【 】の処である。
 1. 森下駅→八名川公園→「深川神明宮」→「霊巌寺」→尾車部屋→【「萬年橋」→「深川・芭蕉庵跡=芭蕉稲荷神社」→「正木稲荷神社」→「芭蕉庵史跡展望公園」】→「江東区芭蕉記念館」
 2. 東京都美術館『ブリューゲル』展→国立西洋美術館『プラド美術館』展→【三菱一号館美術館『ルドン』展→国立新美術館『ビュールレ・コレクション』展】→山種美術館『桜・サクラ・SAKURA』展→中村屋サロン美術館『新恵美佐子』展
  それでは、「深川芭蕉庵関連史跡と美術館巡り」3seriesの〔第2回〕をご覧下さい。

0317()】‥続き‥
 霊巌寺を出てから向かったのは、小生が大好きな歴史小説作家 藤沢周平 の名作「橋ものがたり」の第1作の短編「約束」の主人公 幸助とお蝶 が5年ぶりの再会を果たした舞台となった『萬年橋』

0756分 萬年橋 着

 小生、此の作品が大好きで、小説〔架空〕の世界と解ってはいるものの、是非訪れて見たかったのだ。
  「約束」の最後の場面は、実に感動的なので20080126日付【時習26回3-7の会 0151】にてご紹介済であるので、是非以下URLclickしてご覧下さい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/26_015126_b766.html
 その時の《会報》にて以下の様なcommentを記している。

[01]藤沢周平「橋ものがたり」表紙

[02]「橋ものがたり」~『約束』の一節
                  

 「橋ものがたり」に出て来る男女は、小生が読んだ作品共にいずれも庶民。
 
 彼らの必死に生きていく姿勢の真っ当さ、健気(けなげ)さが美しい。
 

 藤沢はその描写がとても上手い。
 男女の人情の機微を藤沢は巧みに表現し、読者の琴線に触れさせる。
 幾つになっても、又いつの時代も、此の世に男女の話は美しくもあり、哀しくもある。
 いま藤沢周平作品の名作を読み返すと、愛しいひとの面影と作中の heroine が重なる。

  早春に藤沢読みて君憶ふ  悟空

[03]萬年橋の南東側にある高欄親柱にて

[04]橋の同高欄親柱直ぐ傍に掲示されていた地図
                  
 萬年橋は、隅田川に合流する直前東側河口に南北に架かる(‥地図では左下側が南東‥)

[05]同橋同欄親柱際にあった公衆便所

 深川には要所要所にこういう公衆トイレがあったのには感心した。

[06]萬年橋東側から「新小名木川水門」を望む
                  
[07]同橋西側から「小名木川と隅田川の合流地点」を望む

 写真右手手前に少し見えるのが「芭蕉庵史跡展望庭園」。

[08]添付写真[05]を撮影した地点での小名木川に架かる萬年橋(‥同橋の西側の橋中程‥)にて
                  
[09]萬年橋を渡り切った同橋北西側の高欄親橋直ぐ(‥小名木川北岸‥)の所にある「旧芭蕉庵跡&芭蕉庵史跡展望庭園」案内標識


0743  芭蕉庵跡〔芭蕉稲荷神社〕

[10]芭蕉稲荷神社前にて
                  
[11]芭蕉稲荷神社本殿横の「史跡/芭蕉庵跡」石碑前にて

[12]深川芭蕉庵旧地の由来看板
                  
[13]奥の細道旅立参百年記念碑横にて


 由来書には‥
 芭蕉(1644-1694)は、延宝08(1680)年から元禄07(1694)年大阪御堂で亡くなる迄の14年間此処を本拠とした。
 芭蕉は、蕉門十哲の一人にも数えられている江戸の豪商杉山杉風(さんぷう)の提供に拠り此処を深川芭蕉庵とした。
 有名な紀行文「奥の細道」も元禄02(1689)年春、門人河合曾良(1649-1710)を伴い此の深川芭蕉庵から旅立っている。
 此の芭蕉稲荷神社は、大正06(1917)年津波来襲の際、此処から芭蕉愛好の石の蛙が発見されたことを契機に、地元の人たちの尽力に拠り建立された。
 ‥と書かれていた。
 旧芭蕉庵跡石碑の手前東側に「奥の細道旅立参百年記念碑」を見つけた小生、感動のあまり身体中が震えた。
 此の芭蕉稲荷神社から西へ僅か十数mの所に正木稲荷神社がある。

0747  正木稲荷神社

 此の神社は、江戸時代からある神社と由来書に記されてあった。

[14]正木稲荷神社前にて

                  
[15]同神社由来書石碑


0756  芭蕉庵史跡展望庭園周辺散策

 此の正木稲荷から僅か民家1軒を隔てた僅か数mの所に江東区芭蕉記念館分館でもある「芭蕉庵史跡展望庭園」の入口があった。
 ただ到着して初めて気づいたが、門は閉ざされていた。
 よく見ると、看板があり、「開園時間:0915分」と書かれてあった。
 因みに、此の庭園から北上すること250m余りの所にある「江東区記念館」の開館時間は0930分である。
 其処で、開館(開園)時間迄の1時間15分余りを此の芭蕉庵史跡展望庭園周辺で小休止と散策で過ごすことにした。
 藤沢周平「橋ものがたり/約束」の舞台となった 萬年橋 の今の姿を再見したりして、隅田川岸周辺の風景を満喫した。

[16]芭蕉庵史跡展望庭園 入口にあった「赤穂浪士ゆかりの道 高札」
                  
 大石内蔵助以下赤穂浪士47士は、吉良上野介の首級を掲げて此の隅田川沿いの道を、高輪にある浅野内匠頭が眠る 泉岳寺 迄行進して行った、と記されてあった。

[17]芭蕉蕉庵史跡展望庭園周辺散策中での一コマ

 後方に見えるアーチ状の橋は「清洲橋」。

[18]芭蕉庵史跡展望庭園周辺を散策中の小生の所在地をスマホアプリで確認する
                  
 此の「芭蕉庵史跡展望庭園」はmap(‥地図では左側に隅田川が流れている(上が北))下部右(‥南東‥)の川が隅田川に合流する直前の小名木(おなぎ)川。
  その小名木川を南北に渡す橋が先刻渡って来た『萬年橋』。

[19]芭蕉庵史跡展望庭園 入口前にて

 後方に見える螺旋階段のある家屋の向かって左側直ぐに「正木稲荷神社」がある。

[20]開園された 芭蕉庵史跡展望庭園 の階段を登って 今日の旅の最初の目的地 松尾芭蕉像 に会って満足している小生
                  
[21]芭蕉庵史跡展望庭園 内の情景

[22]芭蕉庵史跡展望庭園 内の芭蕉座像
                  
[23]芭蕉座像解説

[24]芭蕉庵史跡展望庭園から隅田川を望む(右手から左手(北側→南側))から1
                  
[25]同上2

[26]同上3
                  
[27]同上4()


 0925分 同所発→〔北へ徒歩250m〕→「江東区芭蕉記念館」へ向かう

■続いて、176つ訪れた美術館のうちの3つ目と4つ目は、東京駅直ぐ南の丸の内にある三菱一号館美術館『ルドン』展と乃木坂にある国立新美術館『至上の印象派~ビュールレ・コレクション~』展についてである。

1300分【三菱一号館美術館『ルドン~秘密の花園~』展】

 本展は、印象派の画家達と同時代であり乍ら、幻想的な内面世界に眼を向けて独自の世界を創り上げていったオディロン・ルドン(Odilon Redon(1840-1916))
 又、本展出品作品90点の大半は、オルセー美術館、ボルドー美術館、プティ=パレ美術館(Paris)、ニューヨーク近代美術館、シカゴ美術館等、海外の主要美術館所蔵作品で構成されている。

[28]三菱一号館美術館をback
                  
[29]三菱一号館美術館前にて

[30]同美術館中庭にて
                                     
[31]本展leaflet

[32]オディロン・ルドン(仏:Odilon Redon 1840-1916)『祈り、顔、花』1893年‥ボルドー美術館(オルセー美術館より寄託)

                  
[33]同『神秘的な対話』1896年‥岐阜県美術館

[34]同『ドムシー男爵夫人の肖像』1900年‥オルセー美術館
                  
[35]同『グラン・ブーケ(大きな花束)1901年‥三菱一号館美術館

[36]同『日本風の花瓶』1908年‥ポーラ美術館
                  
[37]同『蝶』1910年頃‥ニューヨーク美術館(MoMA)

[38]同『神秘』1910年‥フィリップス・コレクション
                  
[39]同『オジーヴの中の横顔』制作年不詳‥ボルドー美術館(オルセー美術館より寄託)


【小生comment
 日本国内でルドンの絵画作品を数多く所有する美術館は、此処、三菱一号館美術館と岐阜県美術館。

 ルドンは、幻想的というか、神秘的というのでもない、彼独自の作風が魅力的である。
 その日4つ目に訪れた美術館は、乃木坂にある国立新美術館。
 
1415分【国立新美術館『至上の印象派~ビュールレ・コレクション~』展】

 題名に違わない極上の『至上の印象派』展だった。
 ルノワールの『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』を眼前にした時は、午前中に「深川芭蕉庵跡」で味わった感動の為の身体中の痺れを再び感じた。

[40]地下鉄千代田線乃木坂駅から国立新美術館へ向かう導入路にて
                  

[41]本展leaflet()/絵は『赤いチョッキの少年(部分)』と『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』

[42]同上()
                  
[43]ウジェーヌ・ドラクロワ(: Ferdinand Victor Eugène Delacroix 1798-1863)『モロッコのスルタン(部分)1862

[44]エドガー・ドガ(仏: Edgar Degas 1834-1917)『ピアノの前のカミュ夫人』1869
                  
[45]カミーユ・ピサロ(仏:Jacob Camille Pissarro 1830-1903)『ルーヴシエンヌの雪道(部分)1870年頃

[46]ピエール=オーギュスト・ルノワール(仏:Pierre-Auguste Renoir 1841-1919)『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』1880
                  
[47]エドゥアール・マネ(仏:douard Manet 1832-1883)『ベルヴュの庭の隅』1880

[48]ポール・セザンヌ(仏:Paul Cézanne 1839-1906)『赤いチョッキの少年(部分)1888-90
                  
[49]アンリ・マティス(仏:Henri Matisse 1869-1954)『雪のサン=ミシェル橋、パリ』1897

[50]ポール・セザンヌ『庭師ヴァリエ(老庭師)1904-06
                  

【小生comment
 本展は、名古屋市美術館でも、今年0728日~0924日で開催される。
 もう一度、大傑作の2点『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』と『赤いチョッキの少年』を見に行きたいと思っている。
 次号《会報》では、〔第2回〕として、山種美術館と新宿中村屋サロン美術館の模様をお伝えする。

■今日最後の話題は、0324()1000分から大学学生会館2階にて「大学弓道部のOB総会」が、1800分から大学南部食堂にて「大学弓道部女子部1部リーグ昇格祝賀会」が開催され、小生参加した。
 一年ぶりに母校を訪れた。此処に来ると何故か懐かしさがこみ上げて来た。

 
[51]豊田講堂の前にて

[52]OB総会に於ける小生の席に於かれた名札とレジュメ
                  
[53]現役幹部たち

[54]我が学び舎だった法学部
                  
[55]大学弓道場

[56]大学弓道場入口にて
                  
[57](‥今春卒業した‥)58代幹部たち

写真左からK元女子部代表(58代)・O幹事長補佐(57代)・小生・Mi元主将(58代)・Ma元福将(58代)

[58]祝賀会での全体写真
                  
[59]同上2


【後記】0321日の『春分』の日。彼岸の中日でもあり、亡き両親の墓参をして帰宅した際、拙宅の中庭に咲いていた椿の花が綺麗だったので写真に収めた。
 その写真を一枚に纏めてみたのでご紹介して今日はお別れしたい。
 
  赤い椿 白い椿と 落ちにけり  河東碧梧桐 

[60]拙宅の椿の花々                
                  
 では、また‥〔了〕

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