2018年5月18日金曜日

【時習26回3-7の会 0705】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第5回〕』」「05月12日:『ニコライ堂』→『湯島天神』→『麟祥院』→『東大/赤門』『同/安田講堂』『同/三四郎池』→東京都美術館『プーシキン美術館』を巡って&見て」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0705】号をお届けします。
 さて、今日も最初の話題は、前々回から始まった『猿蓑』〔巻之五〕連句集の今日はその〔第5回〕目で「冬の部」の第5回。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第17句~20句をお届けする。
 では、その4句をご覧頂きたい。

  猿蓑集 巻之五

17 (こけ)ながら花に並(なら)ぶる手水鉢(てうづばち)  ()

【意】(前句で詠んだ)挿し木のある庭園は茶室に続いている/
 その庭には茶花(ちゃばな)と並び苔むした手水鉢が置いてある
【解説】此処が歌仙の初裏11句目で「花の定座」/春(=花)
 苔むした石の手水鉢を花の許(もと)に並べて置く様を詠んだ

18 ひとり直(なほり)し今朝(けさ)の腹(はら)だち  ()

【意】庭いじりをしていると、今朝方(がた)あった腹立たしいこともいつの間にか治って仕舞ったヨ
【解説】苔むし侘びた庭園は矢張りいいものである、との感慨が伝わって来る

19 いちどきに二日(ふつか)の物も喰(くふ)て置(おき)  ()

【意】実は此の男、不摂生な生活をしており、飯を食らうとなると一回で二日分を喰らう大食漢だ/
【解説】前句で詠んだ主人公を不摂生な生活者とみて詠んだ

20 雪氣(ゆきげ)に寒(さむ)き嶋(しま)の北風(きたかぜ)  ()

【意】北風が吹き荒れて雪模様の冬の悪天候の下、島人たちが腹ごしらえしていた
【解説】冬(=)/前句に詠んだ男を島の漁師として詠んだ

【小生comment
「歌仙」の主なルールを以下に記した/結構沢山あるが、慣れれば面白そうだ。以下にruleの概要を記してみた。

 ※  ※  ※

「歌仙」とは「発句」以下、長・短句(五七五・七七)を交互に用いて、三十六句で満尾(歌仙などの一巻を完成)させること。
 懐紙2枚に分けて(1枚目の表に6句、裏12二句、2枚目の表に12句、裏6)を記す。
1.【発句】:歌仙の第1(「立句」とも)/「客/挨拶の位(主賓)」とされ、原則「季語」を持つ〔575
2.【脇句】:「発句」に続き、「発句」に対する挨拶・答礼として詠む/「亭主/挨拶の位」とされ、「発句」と同季/〔77
3.【第三】:「相伴の位」とされ、「主客/挨拶」から「転調・変化」を図る/「句末」を『て』で止める/〔575
4.【挙句】:「歌仙」第1巻の締め括りとして「祝言」()の句/通常、「正客(「発句」の人)や、「亭主」は詠まない/〔77
     ()「祝言」:祝言の挙句/目出度くということ
5.【平句】:【発句】【脇句】【第三】【挙句】の4句以外の全ての句
6.【「月」の定座】:「歌仙」1巻の中に、「月」の句を3つ作成/
 懐紙1枚目「表5句目」、同「裏8句目」、懐紙2枚目「表11句目」を『定座』とする
 が、移動しても構わない/「月」の季語は「秋」
7.【「花」の定座】:「花」の句を2句作成/懐紙1枚目「裏11句目」、懐紙2枚目「裏5句目」を『定座』とする
 此れも移動して構わないが、後者は「挙句」前(35句目)に当り、『「祝言」の花の座』である為、『定座』を守ることが多い
8.【雑句(ぞうく)】:季語を持たぬ句/1巻中に作成数の制限はないが、「雑句」の前後には必ず違う季語とする

 次号「猿蓑/巻之五」〔第6回〕「第2124句」をお楽しみに!

■続いての話題は、0512()に、東京の史跡4箇所と美術館&博物館7箇所を見て来たうち、史跡4箇所と最初に訪れた東京都美術館『プーシキン美術館』展の模様をお伝えする。
 尚、その日は、東京都美術館のあと「東京国立博物館」「横山大観記念館」「東京国立近代美術館」「山種美術館」「郷さくら美術館東京」「世田谷美術館」と6館を巡って来た。
 此れ等の模様は次号《会報》から2館ずつ3回に分けて、今回を含めると全4seriesでお届けする。
 それでは、まず第1回目の模様を時系列にご紹介する。

0511()

2325分 豊橋駅前発→〔高速バス「ほのくに号」→豊川IC→東名→用賀IC→首都高速→渋谷IC〕→

[01]豊橋駅前バスセンター停留場前にて1

[02]同上2
                  
[03]高速バスticket


0512()

0540分 バスタ新宿着〔←予定時間より10分早い到着だった〕

[04]バスタ新宿にて1
                  
[05]同上2


0610  JR新宿発の中央線各駅停車でJR「御茶ノ水」駅へ
0632  JR御茶ノ水駅着

[06]JR中央線「御茶ノ水」駅前にて1
                  

 最初に向かったのが、御茶ノ水駅から南東へ200m程の所にある通称 ニコライ堂 で知られる『東京復活大聖堂』。
 早朝なので拝観は勿論無理だが、堂々たる佇まいに関心しきり!  日本正教会の首座主教座大聖堂。 日本初且つ最大級(高さ35m)のビザンティン様式の教会建築で1891年に竣工。

 [07]ニコライ堂1

[08]同上2
                  
[09]同上3

[10]同上4
                  
[11]ニコライ堂解説

[12]ニコライ堂前にて1
                  
[13]同上2


0652分 ニコライ堂からほぼ真っ直ぐ北上すること1.1kmにある「湯島天神」に向かった。

 途中に、東京医科歯科大学を左手(西側)に、湯島聖堂を右手(東側)に見乍ら歩くこと30分弱で到着。

[14]東京医科歯科大学
                  
[15]湯島聖堂

[16]同上境内図
                  

 458(雄略天皇02)1月)、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと社伝にある。
 1355(正平10)年 菅原道真を合祀。
 徳川家康の江戸入府以来、徳川幕府の保護に拠り多くの学者・文人が訪れ、現在も多くの参詣者を集める。

 小生、湯島天神では、思う処あって御守りを買った。
 御守りは地元と旅先で手に入れて、出来るだけ携行している。
 遂に20個になった。
 結構御利益を頂戴している!

[17]湯島天満宮(湯島天神)前にて

[18]湯島天満宮解説
                  
[19]湯島天満宮社殿前にて

[20]湯島天神の御守りを手にして
                  
[21]小生の御守り20個一覧


0750分〜0810  麟祥院

 湯島天神を発って、西進すること300m余り、麟祥院という臨済宗妙心寺派の寺院に立ち寄った。
 訪れて初めて知ったことだが、此処には、春日局のお墓と、東洋大学発祥の地の石碑があった。
 当院は、「臨済宗 妙心寺派 天澤山 麟祥院」という。
 1624(寛永元)年 春日局(1579-1643)の願により三代将軍家光の台命に拠り、当地に境内地1万坪寺領三百石の御朱印状を拝領。
 徳川秀忠の御明御殿を賜り、殿堂を造立、報恩山天澤寺と号した。
 当初、春日局の甥 神龍和尚が住職するも、病気のため退院。
 1630(寛永07)年 下野国宇都宮 興禅寺の渭川和尚を招聘し開山となった。
 爾来、春日局の菩提所となり、局は麟祥院殿仁淵了義尼大姉の法号を受けた。
 後に将軍家光の命に拠り春日局の法号を以て寺号となり「天澤山 麟祥院」と改号し、現在に至る。

[22]麟祥院山門前にて
                  
[23]当院内史跡「春日局墓所」「哲学館跡」解説

[24]麟祥院本堂前にて
                  
[25]春日局の墓前にて

[26]春日局墓傍らの解説板横にて
                  
[27]東洋大学発祥之地 石碑


 次に向かったのが、東大の『赤門』と本郷校舎内にある『安田講堂』&『三四郎池』。
 先ず最初に訪れたのは、麟祥院から400m西進して、本郷三丁目交差点を右折(=北上)500m弱の所にある『東大/赤門』。
 此の『赤門』は国指定の【重文】史跡。
 1827(文政10)年 加賀藩13代藩主前田斉泰(なりやす)が、11代将軍徳川家斉の娘 溶(やす/よう)姫を正室に迎えた際に建立された御守殿(ごしゅでん)門。
「御守殿」とは三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家の娘(=)及びその姫が居住する億御殿の敬称。
 表通りからその場所へ出入りする「朱塗りの門」を「御守殿門」と呼び、『赤門』と愛称された。
『赤門』の前を南北に通っている本郷通りを北へ200m程の所に東大の正門がある。
 正門から東へ250m程校内を歩くと『安田講堂』である。
『安田講堂』は、安田財閥創始者の安田善次郎(1838-1921)の寄付に拠り、1921(大正10)年起工、1924(大正14)0706日竣工。
 小生の今回の目的地の一つは、夏目漱石の小説「三四郎」から通称として有名になった『三四郎』。
『安田講堂』から南へ100m弱と処に『三四郎池』はあった。
『三四郎池(育徳園)』については、池の畔の説明看板に次の様に記されてあった。
「蚊が藩主前田氏が、現在の赤門から池にかけての一帯の地を将軍家から賜ったのは、大阪の役後のこと。
 園池を大築造したのは1638(寛永15)年、その性、豪宕で風雅を好んだという前田利常(1594-1658)の時である。
 彼の死後、綱紀(1643-1724)が更に補修して、当時江戸諸侯邸の庭園中第一と称せられた。
 育徳園と命名され、園中に八景、八境の勝があって、その泉水・築山・小亭等は数寄を極めたものだと言われている。
 池の形が「心」という字を象(かたど)っており、この池の正式名称は「育徳園心字池」なのだが、夏目漱石の小説「三四郎」以来、三四郎の名で親しまれている。」

0820  東大赤門着

[28]東大『赤門』
                  
[29]東大赤門前にて


0830  同 安田講堂着

[30]東京大学正門
                  
[31]同正門から安田講堂へ向かう道

[32]安田講堂前にて1
                  
[33]同上2


0850  同 三四郎池着

[34]三四郎池解説
                  
[35]三四郎池前にて1

[36]同上2
                  
[37]三四郎池


0905  東大の敷地をアナログ式の時計でいうと9時の所にある正門を出て本郷通りを200m程北上。

 最初の信号機のある本郷弥生の交差点を右折(東進)
 此の「言問通り」という道を東北東へ1.5km程進み、谷中六の交差点を右折し100m程南進。
 突き当りの交差点を左折東進すること100m
 東京藝術大学の美術学部(手前西側)と音楽学部(東側)に分かつ北西から南東に向かう道に到る。
 その道を200m程進み右折し、道なりに西進して程なく左折すると左手に目的地の東京都美術館があった。
 東大正門からの距離は2.2kmで、所要時間は徒歩で30分だった。

0935分 開館時間の030分を若干過ぎて東京都美術館に到着。

 当美術館では、開催中の企画展『プーシキン美術館~旅するフランス風景画~』展を見た。
 この日巡った7つのMuseumの第一弾である。

【東京都美術館『プーシキン美術館展~旅するフランス風景画』】
 本企画展は、ロシア・モスクワのプーシキン美術館が所蔵する17世紀から20世紀迄の風景画の名品65点を紹介する。
 今回が日本初公開となるモネの草上の昼食(添付写真[49])では、太陽の光を反射いて輝く木の葉が生き生きと描かれ、森の中に集う人物達の見事な調和を生んでいる。
 プーシキン美術館は、帝政ロシア時代の実業家セルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフという伝説的な2人をはじめとするコレクター達が収集した秀逸な西洋絵画コレクションとして著名。
 〔以上、本企画展「日本側主催者 あいさつ」より引用〕
 名画の数々をご覧頂きたい。

[38]東京都美術館入口近くにて1
                  
[39]同上2

[40]本企画展leaflet1
                  
[41]同上2

[42]本企画展出口近くに設けられた写真撮影cornerにて
                  
[43]クールベ(1819-77)『山の小屋』1874

[44]レルミット(1844-1925)『刈り入れをする人』1892以前
                  
[45]ルノワール(1841-1919)『庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰』1876

[46]コルテス(1882-1969)『夜のパリ』1910年以前
                  
[47]マルケ(1875-1947)『パリのサン=ミシェル橋』1908年頃

[48]マルケ『冬のパリ、サン=ミシェル橋の眺め』1908年頃
                  
[49]モネ(1840-1926)『草上の昼食』1866

[50]モネ『陽だまりのライラック』1872-73
                  
[51]シスレー(1839-99)『オシュデの庭、モンジュロン』1881

[52]セザンヌ(1839-1906)『ポントワーズの道』1875-77
                  
[53]マティス(1869-1954)『ブーローニュの森』1902

[54]ヴラマンク『オーヴェールの風景』1924
                  
[55]ピカソ(1881-1973)『庭の家(小屋と木々)』1908

[56]ギヨマン(1841-1927)『廃墟のある風景』1897
                  
[57]セザンヌ『サント=ヴィクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め』1882-85

[58]ドラン(1880-1954)『港に並ぶヨット』1905
                  
[59]ドラン『岩の間の小道、ソセ==パン(Sausset-les=Pins)1911

[60]ゴーガン『マタモエ、孔雀のいる風景』1892
                  
[61]アンリ・ルソー(1844-1910)『馬を襲うジャガー』1910

[62]レオポルト・シュルヴァ―ジュ(1879-1968)『赤い人物のいる風景』1927
                  

【小生comment
 プーシキン美術館の「旅するフランス風景画」という副題がついた本企画展は大変魅力的な作品が多く展示されて、大満足の絵画展だった。
 ご紹介した上記の19作品のうち、最後[59]レオポルト・シュルヴァ―ジュ(1879-1968)『赤い人物のいる風景』は初めて見たがとても印象に残った傑作だ。
 シュルヴァ―ジュは、セルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)の主催する革新的バレエ団バレエ・リュス(Ballets Russes (ロシア・バレエ団))の舞台装飾と衣裳デザイン等多くの仕事を担当。
 舞台の書割(かきわり=舞台などの背景画)の様に見える断片化した此の風景画は、こうした彼の舞台装飾という仕事から強い影響を受けていると言える。

【後記】感動的な新しい発見をすると、気持ちがワクワクする!
 絵画ってホント素晴らしい!

 では、また‥〔了〕

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