2017年8月19日土曜日

【時習26回3-7の会 0666】~「08月12日:【時習26回3-7の会クラス会】& 時習26回【3-2】【3-3】【3-4】合同生ミニ学年同期会 開催報告」「松尾芭蕉『猿蓑』から〔巻之三〕『秋』〔第3回〕」「08月11日:浜松市秋野不矩美術館『所蔵品展/第3回 秋野不矩 画業の地平Ⅲ~陽光と灼熱の大地』展→鞍ヶ池アートサロン『生命(いのち)の花たち~春から夏へ~』展を見て」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3-7の会 0666】をお送りします。
 先ず最初の話題は、去る0805() 1800分~豊橋駅東口至近にある和風フランス料理レストラン Kings Kitchen にて開催された【時習26回3-7の会クラス会】& 時習26回【3-2】【3-3】【3-4】合同生ミニ学年同期会 開催報告についてである。
 開始予定時刻1800分を若干過ぎて予定8人全員が勢ぞろいして、楽しいクラス会&ミニ学年同期会を開催した。
  【2637の会】membersは、金子T久君、千賀S始君、林K子さん、牧野M孝君と小生の5人、それに【3-2】中嶋Y行君、【3-3】松井S記君、【3-4】宮下K一君の3人が合流した。
 松井君は、カナダのバンクーバーからの里帰りだ。現在、ブリティッシュコロンビア大学法学部教授という要職に就いている。
 一次会は2030分迄あっという間の楽しいひとときを過ごした。
 二次会は【2637の会】members 5人で、駅前のスタバで1時間近くこれも楽しいひとときを過ごした。

[01]参加者8人全員の会場内での写真01

[02]同上02
                  
[03]同上03

[04]参加者8人ッ全員のクラス会終了後に会場入口にて
                  
[05]二次会は【3-7】クラス会members 5人にて01

[06]同上02
                  
[07]一次会会場 Kings Kitchen Main Dish〔魚〕

[08]同上〔肉〕
                  
■続いての話題は、松尾芭蕉の『猿蓑』〔巻之三〕『秋』の最終回〔第3回:4976句〕についてである。

【松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之三〕『秋』〔第3回〕】

 猿蓑集 巻之三     秋

  仲秋の望、猶子を送葬して
49かゝる夜()の月も見にけり野邊送(のべおくり)  去来
【意】甥の野邊送りに満月が出ている / 今夜は中秋の名月 / 悲しみにくれる月夜だ
【解説】向井去来の兄元端の息子 向井俊素は元禄03(1690)0814日没/翌15日夜(中秋の名月)が野辺送りだった

50明月(1)や處(ところ)は寺の茶の木()はら  膳所 昌房
【意】寺に隣接地に茶畑が広がっている / 今年はこの寺でその茶畑の上空に出ている名月を鑑賞だ
(1) 明月(めいげつ):名月に同じ / 中秋の名月のこと

51月見れば(1)人の砧(きぬた)にいそがはし(2)  羽紅
【意】中秋の名月を見る頃にもなると、何処の家庭でも新年に向けての準備作業である「砧打ち」に忙しくなって来る
(1) 月見れば:「月見」は、一般に旧暦八月十五日(【中秋の名月】)と旧暦九月十三日(【後(あと)の月】)を指す
 此処では、前掲の2句が、第49句「中秋の望」と第50句「明月(=中秋の名月)」の様に「中秋の名月」を指しているので、本句の「月見」も「中秋の名月」を言っている
(2) 砧にいそがはし:「砧打ちに忙しい」ことで、これは以下の理由からである
 昔から我国では《秋》の季節に「《砧》を打つ」ものとされ、《秋》の風物詩となっている。
  《砧》は「俳句」では《秋》の季語。
 では、何故《砧》は《秋》の風物詩なのか?
 それは、四季のある我国に於いて、1 term の生活 cycle を考えると納得がいく
 即ち、洗濯は、通常毎日行うものであるが、綿入れや布団等は来たる《新年》に向け、《夏》→《秋》→《冬》と時間をかけて半年かけて洗濯する
  《夏》:「糸を解く」→「中の綿を出す」→「布地を洗う(=汚れを落とす)」→
  《秋》:(洗った布地に)《砧》を打つ(=皺を延ばす & 艶を出す)」→
  《冬》:(綺麗になった布地に再び)綿を入れ裁縫」→「(元の)綿入れ・布団」にする
 他の着物も同様で、《夏》《秋》《冬》の作業を通じて、清々しさを取り戻した着物等を用意して正月を迎えたのである。
 砧を詠んだ松尾芭蕉の秀句に「 声澄みて 北斗にひびく 砧哉 (『都曲(みやこぶり)』池西言水(ごんすい(1650-1722))(元禄02(1689)年編))」がある
 【意】秋の夜空の澄み切った空気の中を、砧を打つ音が冴え/\と響き亘り、北斗七星の光も透き通る様に見える

52僧正(そうじやう(1))のいもとの小屋のきぬたかな  尚白
【意】砧の音が聞こえて来るが、あれはもしや僧正遍照が昔契った女の打つ砧の音ではないか
(1) 僧正:僧正遍照(816-890 / 平安前期の僧・歌人 / 六歌仙・三十六歌仙の一人
 俗名 良岑宗貞(よしみねのむねさだ) / 桓武天皇の孫
 父 良岑安世は、桓武天皇の子乍ら母の出自が低く親王宣下を受けらず
※ 僧正遍照(良岑宗貞)略歴
 承和12(845)年 仁明(にんみょう)天皇(810-850.05.06(在位833-850.05.04))の蔵人から従五位下・左兵衛佐
 嘉祥02(849)年 蔵人頭
 嘉祥03(850)年 正月に従五位上に昇叙するが、仁明天皇崩御により出家し、比叡山延暦寺に入山〔第3代天台座主慈覚大師円仁(794-84)・智証大師円珍(814-891)に師事〕
 仁和元(885)年 僧正
 在俗時代の色好みの説話が『大和物語』『今昔物語』に残されており、本句は此の故事に因む

 53初潮(はつしお)(1)や鳴門(なると)の浪(なみ)の飛脚舟(ひきゃくぶね)  凡兆
【意】中秋の名月の日である八月十五日は「初潮」の日 / その日に鳴門の飛脚舟が波を蹴散せ勇壮に航海していく
(1) 初潮:陰暦八月十五日の大潮(おほしほ)のこと / この時が年間最高潮位になる

54一戸(いちのへ)(1)や衣もやぶるゝこまむかへ(2)  去来
【意】遥々奥州一戸から献上された駒だ / その馬を引いて来た者の衣服がボロボロに破れて仕舞う程の長旅だったのだ
(1) 一戸:現 岩手県二戸郡一戸町 / 南部馬の産地
(2) こまむかへ:朝廷が諸国から馬を献上させ、それを朝廷の役人が逢坂の関まで迎えに行く行事で、八月十六日に行われた
 この時代、朝廷へ献上する馬は信州佐久の望月の駒だけとなっていた
 此の句は遠国の奥州一戸(いちのへ)からも献上されたとして作られた

 55(ひえ)の穂()の馬(うま)逃したる気色(けしき)(かな)  越人
【意】秋風の強風に稗畑の穂が大きく揺れ動いている
 それは恰も逃げていく馬が鬣(たてがみ)を靡(なび)かせ走り去っていく様だ

56澁糟(しぶかす)やからすも喰はず荒畠(あらばたけ)  正秀
【意】渋柿の渋を発行させた渋糟を畑に撒いたら、流石の烏も食べない
(1) 渋糟:渋柿の渋を発酵させた糟

57あやまりてぎゞう(1)おさゆ(=)る鱅(かじか)(2)(かな)  嵐蘭
【意】鰍(カジカ)だと思って捕まえようと押さえたら、間違ってギギュウだったので背鰭(びれ)にある棘(トゲ)に刺されてしまった
(1) ぎぎゅう:ナマズ目ギギ科に属する淡水魚で背中に棘があって刺されると痛い / ギバチ、ギンギョともいう
(2) (かじか):正しくは「鰍」と書く / 川に生息する鯊(ハゼ)の仲間で美味

  一鳥不鳴山更幽(1)
58(もの)の音(おと)ひとりたふるゝ案山子(かかし)(かな)  凡兆
【意】静寂な山の中でモノが倒れる音がした / 案山子(かかし)が倒れた音かな‥
【解説】本句は、王安石(1021-86)作『鐘山即事』のparody
(1) 王安石の詩句『鐘山即事』の結句「一鳥不啼山更幽 / 一鳥啼かず 山更に幽なり」を前書にしている

  鐘山(1)即事  王安石 (1085年作)
 澗水無声繞竹流
 竹西花草弄春柔
 茅簷相對坐終日
 一鳥不啼山更幽

  澗水(かんすい)(2)(こえ)無く 竹を繞(めぐ)って流れ
 竹西(ちくせい)の花草(かそう) 春柔(しゅんじゅう)を弄(ろう)
 茅簷(ぼうえん)(3)相対(あいたい)して 坐すること終日(しゅうじつ)
 一鳥(いっちょう)啼かず 山更に幽なり

 【意】谷川の水は音も無く竹林を繞(めぐ)って流れ、
 竹林の西には草花が春の柔らかな日差しの中で揺れている
 茅葺きの庵で鍾山に一日中対座していると、
 鳥の鳴き声一つせず、山は愈々静まり返っている

(1) 鍾山(しょうざん):金陵(現 南京)の東北にある名山 / 別名「紫金山」
(2) 澗水(かんすい):谷川
(3) 茅簷(ぼうえん):茅葺(かやぶき)の家の軒

59むつかしき拍子(ひゃうし)も見えず里神樂(さとかぐら)(1)  曾良
【意】鄙びた里神楽の拍子は凝った処もなく単調なものであるよ
【解説】作者の河合曾良(1649-1710)は、寛文08(1668)年頃、桑名藩主 (久松)松平康尚(1623-96)に仕えた後、天和元(1681)年致仕
 江戸の吉川惟足(これたり(1616-95))吉川神道を学ぶ
 こうした経歴から、曾良が神楽にも造詣が深かったことは想像に難くない
 そんな曾良が聴いた里神楽の拍子はかなり単調だったことだろう
(1) 里神楽:北村季吟(1625-1705)『増山井』(寛文07(1667)年刊)では11月『冬』の部に出す
 猿蓑編者は秋祭りの「里神楽」と見たか
  『猿蓑さがし』は「秋季」としたのは編者の誤りかと述べている

60旅枕(たびまくら)鹿のつき合(あふ)(のき)の下(した)  江戸 千里
【意】此処は旅先、奈良の旅籠である
 その旅籠の軒端下迄、雄鹿が遣って来て雌をめぐって角突き合せて争っている
(1) 粕谷千里(かすや ちり(-1716))は、『野ざらし紀行』で芭蕉に同道した大和竹内村の人

61鳩ふく(1)や澁柿原(しぶがきはら)(2)の蕎麥畠(そばばたけ)  珍碩
【意】(蕎麦の)白い花が咲き乱れる渋柿原の蕎麦畑で、誰かが鳩笛を吹いている
【解説】『鳩吹く』を、幸田露伴は「ただ是れ鳩鳴くと解して一句十分おもしろし」(評釈 猿蓑(P.118))と述べている
 その場合、「誰かが鳩笛を吹いている」の代わり「鳩が鳴いている」となる
【季語】渋柿:秋 / 因みに、「蕎麦の花」なら「初秋」だが、本句の蕎麦()では季語にならない
(1) 鳩ふく:手を合わせて吹くことで、その音色は鳩の鳴き声に似ている(=鳩笛)
(2) 渋柿原:渋柿の木の生えた所

62上行(うへいく)と下(した)くる雲や穐(あき)の天(そら)(1)  凡兆
【意】天空を上へ下へと雲が風に流されていく / 澄み切った清々しい秋の空だ
【解説】前書がないので、作者が本句で秋の空の雲の様子をどの様に表現したかったのか、その機微が解らない
(1) (あき)の天:「天」は「そら」と読むべし〔猿蓑さがし〕

63(せいご)(1)(つる)(ころ)も有(ある)らし鱸(すずき)つり  半残
【意】スズキ釣りは、スズキという魚が出世魚なので、セイゴ(と呼ばれる幼魚時代のスズキ)を釣ることもあるらしい
(1) (せいご):鱸の幼魚(詳細(2)参照)
(2) (すずき):スズキ目スズキ科に属する大型肉食魚 / 英語名:Sea Bass
 成長につれて呼称が変わる出世魚〔但し、【関東】【東海】【関西】で夫々呼び方が一部違う〕
【関東】[1]セイゴ:12年 全長2030㎝ / [2]フッコ:2,3年~ 全長4060cm [3]スズキ:4,5年~ 全長60㎝超の成熟魚
【東海】[1]セイゴ:60㎝程度迄を一律に / [2]マダカ:60㎝超の成熟魚
【関西】[1]セイゴと[3]スズキは同じ /【関東】の[2]フッコ の代わりに「ハネ」と呼ぶ

64(=)なか間()(1)のうすべり(2)寒し菊の宿  尚白
【意】菊を飾った座敷の薄縁(うすべり)茣蓙(ござ)が京間の長さに足らず板の間が見えるのは折からの晩秋の寒さを一層かきたてる
(1) ゐなか間:畳の呼称で、関東間(1(けん)=柱間の寸法六尺)のこと / 京間(=同六尺三寸乃至五寸)に対して呼ぶ
(2) 薄縁(うすべり):布の縁(ふち)のついた茣蓙(ござ)のこと / 薄縁畳(うすべりだたみ)となったのは後世になってから

65菊を切る跡(あと)まばらにもなかりけり  其角
【意】今を盛りと沢山咲いている菊だから、僅かばかり切った位では全く寂しくならないよ
【解説】芭蕉の「菊の後(のち)大根の外(ほか)更になし『蕉翁句集』(元禄04(1691))」を意識した句とみられる
 芭蕉は、精神性の高い菊が無くなったの後に世俗的な大根があることを述べ、此の句に諧謔性を持たせたことが芭蕉の妙
  「更になし」という否定的表現が、強い肯定を表していることも興味深い

 66高土手(たかどて)に鶸(ひわ)の鳴(なく)()や雲ちぎれ  珍碩
【意】川堤の立木に小鳥のヒワが来て囀っている / 青空には千切れ雲が流れていく / 秋の景色だ
【解説】ヒワはスズメよりやや小さく、色々な種類がある
 マヒワは、全長12.5cmと雀より小さい / 冬鳥:秋、群をなして渡来 / 身体の色:ほぼ全体が黄色で、頭頂は黒色 / 鳴き声:ビュイーン、チュウイーンと澄んだ声で鳴く
 カワラヒワは、全身13.5cm / 留鳥 / 身体の色:黄色がかった暗緑茶色 / 鳴き声:チリチリコロロ、ビーンと澄んだ声で鳴く
(1) 土手の立ち木にヒワが来てさえずっている。秋の千切れ雲が青空を横切って流れていく。

[09]マヒワ

[10]カワラヒワ
                  
 67この比(ごろ)のおもはるゝ哉(かな)稲の秋  土芳
【意】(秋となった)今日此頃は、稲の出来栄えが気になって仕方がないことだよ
【解説】本句は、古歌「昨日(きのふ)こそ早苗(さなへ)とりしかいつのまに 稲葉(いなば)そよぎて秋風ぞ吹く」(古今集 巻四 秋風上172 よみ人しらず)(【意】苗代の早苗をとって田植えをしたのは、つい昨日だと思っているのに、いつのまにかもう、成長した稲葉をそよがせて秋風が吹いている)を踏まえている

68(いね)かつぐ母に出迎(でむか)ふうなひ(1)(かな)  凡兆
【意】刈った稲を背負って帰って来た母親を、子供たちが喜び勇んで駆け寄って出迎える
【解説】秋の農家の心温まる心風景
(1) うなひ(=うなゐ(=髫髪)):子供の、髪の毛を首筋迄垂らして切り揃えた髪型 / うなゐ児、幼い子供

  自題落柿舎
69(かき)ぬしや梢(こずゑ)はちかきあらし山(やま)  去来
【意】柿の持ち主はこの私(=去来)だ / 柿の木の梢の向こうに見える嵐山が見える / 柿の実を大量に落としたあの嵐は、その嵐山から吹いて来たのだ
【解説】向井去来の嵯峨野の別邸落柿舎命名の由来は『落柿舎記』に、「さがに一つの古家侍る。そのめぐりに柿の木四十本あり。〔中略〕ことし長月のはじめかしこにいたりぬ。折ふしみやこよりあき人の来りて木立に買求めなんとて、一くわん文さし出し悦かへりぬ。予は猶こゝにとどまりけるに、ころころと屋根はしる音、ひしひしと庭につぶるゝ声、よすがら落もやまず。明ければ商人の見まい来りて、我むかふがみのころより、しらが生るまで此事をわざとし侍れど、かくばかりおちぬる柿を見ず。きのふのあたひかえしくれ給ひてんやと侘ぬ。いと便なければゆるしやりぬ。此ものゝかへりに友だちのもとにせうそこおくるとて、みづから落柿舎の去来とはかきはじめける」とある文に添えて出す

70しら浪(なみ)やゆらつく橋の下(した)紅葉(もみぢ)  賀刕(=賀州)小松 塵生
【意】揺れる吊り橋を渡り乍ら下に目を遣ると深紅の紅葉(もみぢ)が見え、更にその下を白浪を上げて川が流れている

71(はだ)さむし竹切(きる)山のうす紅葉(もみぢ)  凡兆
【意】竹を切り出す時期は、肌寒くなって来たこの時期がよい
 それは山の紅葉が始まる頃だ
【解説】竹の伐採時期は、竹の水揚げが止まる秋口から冬迄の期間
 少し肌寒くなった旧暦八月以降が時期とされる

神田祭
  さればこそひなの拍子のあなる哉 神田祭(1)の鼓うつ音  蚊足(ぶんそく)(2)
  拍子さへあづまなりとや

72花すゝき大名(だいみゃう)(しゅう)をまつり哉(かな)  嵐雪
【意】その東(あづま)の地である武蔵野の花薄(すすき)は日本中の大名達を集めたのだぞ
【解説】幸田露伴は『評釈 猿蓑』で本句について以下の様に評している /「前書の「さればこそ」より「鼓うつ音」迄、狂歌にはあらず、俳諧連歌の内の二句なるべし / 拾遺集 巻七、物名、したゞみ、よみ人しらず(小生【注】:413 / 前書 しただみ(3)) 、吾妻(あづま(=))(4)にて養(やしな)はれたる人の子は 舌(した)だみて(5)こそ物はいひけれ (小生【注】:【意】東国で養育された子女は、訛(なま)って物を言うことだ) / 吾妻(あづま)はすべて鄙びたりと云はれるれど、吾が神田祭は、といふ下ごゝろの前書にて、武蔵野の花すゝき如是盛んに、天下大名衆如是従ふ、多くの大名衆の祭禮に出立警固する花すゝきとは云はねど、それとなく相比陰喩の文法もて巧に云現はしたるなり / 後の交際俳諧、挨拶俳諧、此等の句を學びて漸くむづかしくおもしろからぬものとなれり
 又、和田蚊足は、服部嵐雪の近所に住んでいた(←隣家という説も) / 京の人からか江戸の神田祭を「矢張り思った通り田舎祭の拍子はこんなものだろう / 神田祭の太鼓の打つ音も間が抜けている感じだよ」「太鼓の拍子さえ東訛りになってるじゃあないか」と馬鹿にして詠んだもの
 本句は、これに対し服部嵐雪が応えて詠み返したもの
(1) 神田祭:江戸神田明神の祭礼 / 麹町(=糀町)山王祭(=日枝神社大祭)と隔年に九月十五日(山王祭は六月十五日)に開催 / 大名衆の警固武士達の多くの槍を花すゝきに例えたか
(2) 和田蚊足(ぶんそく):向井去来と芭蕉の出会いが、京都生まれの江戸俳人の和田蚊足が去来と其角を合わせ、その後其角の紹介で始まったとされるので、蚊足は京都出身者とされるが、雪中庵雀志『註解玄峰集』に「此蚊文は上州舘林の城主秋元家の藩士にして嵐雪の友人なり」と注されている / 何方が正しいか小生には解らない
(3) しただみ:小螺、シタダミ、キシャゴ、小型巻貝の総称とも

[11]シタダミ

(4) 吾妻:東、あづま、東国
(5) (した)だみて:言葉が訛(なま)ること / 第4句「舌だみてこそ」に「シタダミ」をかけていると

73行秋(ゆくあき)の四五日(しごにち)弱るすゝき哉  丈艸
【意】此処四、五日、急に薄(すすき)が弱って来た / 愈々秋も終わりかな

74(たち)(いづ)る秋の夕(ゆふべ)や風(かぜ)ぼろし(1)  凡兆
【意】秋が寒くなって夕方表に出たら風邪を引いて風ぼろし(≒風疹)に罹って仕舞った
【解説】本句は、「寂しさに宿を立ち出でて眺むれば いづこも同じ秋の夕暮れ / 良暹法師(『後拾遺集』秋・333(小倉百人一首70))を元にしたparody
(1) 風ぼろし:風疹 / 熱の後等に冷たい風に当たると出来る一種の蕁麻疹(じんましん)の様なもの

75世の中は鶺鴒(せきれい)(1)の尾()のひまもなし  同
【意】世の中の男女の睦み事はセキレイの尻尾のように忙(せわ)しないことだよ
(1) セキレイ:セキレイ属/日本では、ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイの3種が大半
 日本書紀に、日本神話の国産みの一つとして、伊弉諾(イザナギ)と伊弉冉(イザナミ)が性交の仕方が解らなかった処にセキレイが現れ、セキレイが尾を上下に振る動作を見て知ったという異伝に関する記述がある / 婚礼の調度に鶺鴒台があるのはそれに由来する / 恋知り鳥(=恋教え鳥)とも呼ばれる / セキレイの交尾が短時間で素早い為、真剣な恋には譬えられない

[12]ハクセキレイ
                  
76塩魚(しほうを)の歯()にはさかふ(1)や秋の暮  荷兮
【意】塩魚(しおざかな)を食べたら歯に挟(はさ)まって取れない秋の暮のこと / 人生の秋も暮れようしていて寂寥感が漂う
(1) はさかふ:挟(はさ)まる

【小生comment
 今回の『猿蓑』〔巻之三〕『秋』〔第3回〕で、秋の巻は終わり。
 次回は、『猿蓑』の〔巻之四〕『冬』になるのですが、up するのはやはり「冬」を考えているので、今秋1107日『立冬』頃にしたい。
 それ迄の間、芭蕉が貞享040814(新暦16870920)に江戸を出立し、0825(1001)に参詣した『鹿島紀行(鹿島詣)』をお伝えするつもりである。
 次号《会報》以降もお楽しみに!

■さて次の話題は、昨日0811(祝金)に訪れた4つの美術館〔‥浜松市秋野不矩美術館『所蔵品展/第3回「秋野不矩 画業の地平Ⅲ~陽光と灼熱の大地~』展、鞍ヶ池アートサロン『生命(いのち)の花たち~春から夏へ~』展、古川美術館『逸品セレクション【前期】』展、碧南市藤井達吉現代美術館『リアル〔写実〕のゆくえ~高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの』展‥」の企画展から、浜松市秋野不矩美術館と鞍ヶ池アートサロンの企画展についてご紹介する。
 猶、鞍ヶ池アートサロンの企画展については、20170421日付【時習26回3-7の会0649】にて、0416()に訪れた時のことをご紹介済である。
 以下のURLをご覧頂きたい。
 http://si8864.blogspot.jp/2017/04/26-0649031804060408092017-0413ch-b-g.html
 従って、同サロンの企画展についてはご紹介は割愛させて頂く。

【浜松市秋野不矩美術館『秋野不矩 画業の地平Ⅲ~陽光と灼熱の大地~』展】
08:00 拙宅発→東名 豊川IC→新東名 浜松浜北IC
09:30 浜松市秋野不矩美術館
  写真の絵は、秋野不矩が主にインドで描いた傑作選集
10:00 同美術館発→新東名 浜松浜北IC→豊田東JCT→東海環状 鞍ケ池SA(ETC専用IC)
※ 此処でaccidentが一つ‥新東名 設楽が原SAと岡崎東ICの間で乗用車3台の玉突き事故があり、通常10分程で通過出来る筈の12㎞を90分も要して仕舞った

[13]秋野不矩美術館駐車場入口付近の本企画展案内看板

[14]秋野不矩美術館外観01
                  
[15]本企画展展示作品録とpostcards

[16]秋野不矩『女神ヤクシニー』1980
                  
[17]同『白い扉』1984

[18]同『テラコッタの寺院』1984
                  
[19]同『廃墟Ⅰ』1989

[20]同『廃墟Ⅱ』1989
                  
[21]同『ウダヤギリの僧房Ⅰ』1992

[22]同『ウダヤギリの僧房』1992
                  
[23]同『民家(ブバネシュワールオールドタウンA)1993

[24]同『村落(カジュラフォ)1994
                  
[25]同『ラージャラーニー寺院Ⅰ』1995

[26]同『リンガラージャ寺院Ⅰ』1995
                  
[27]同『砂漠のガイド』2001

【小生comment
 本展は、日本画であり乍ら、インドの太陽が暑く照り付ける情景が直に伝わって来る秋野不矩の珠玉の傑作選だった

【鞍ヶ池アートサロン『生命(いのち)の花たち~春から夏へ~』展】
12:20 鞍ヶ池トヨタ記念館着:鞍ヶ池アートサロン『生命(いのち)の花たち~春から夏へ~』展
  写真のpost cardsは「01アルベール・ルブール(1849-1928)『芍薬』1907年」&「16和田英作『カーネーション』1929年」

[28]鞍ヶ池アートサロン入口
                  
[29]本展展示作品一覧とleaflet & postcards01アルベール・ルブール(1849-1928)『芍薬』1907年」&「16和田英作『カーネーション』1929年」

 【小生comment
 本展の展示作品総数は23点と多くはないけど、珠玉の作品ばかり
 企画展を produce している方の審美眼も素晴らしい

12:45 同サロン発→東海環状 鞍ケ池SA(ETC専用IC)→東名 名古屋IC→第二名環 引山IC
13:20 ラーメン陣屋着〔いつもの『味噌チャーシュー麵』を食す〕

[30]らあめん専門店 陣屋 入口
                  
13:50 陣屋発→一般道→古川美術館へ

【後記】今日最後は、0817()駅前近くの居酒屋で、時習26回生の同期で、【1-4】classmatesの飯田H祥君【3-2】と水藤T詳君【3-6】と一献傾けた。
 写真は、その時の記念写真だ。

[31]飯田君と水藤君と

 ※ ※ ※ ※ ※

 では、また‥〔了〕

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2017年8月11日金曜日

【時習26回3-7の会 0665】~「松尾芭蕉『猿蓑』から〔巻之三〕『秋』〔第2回〕」「07月29日:豊田市美術館『奈良美智』展→三菱東京UFJ銀行『広重/二つの近江八景』展を見て」「08月05日:大学弓道部 第17・18・19代同窓会 開催報告」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3-7の会 0665】をお送りします。
 先ず最初の話題は、松尾芭蕉の『猿蓑』〔巻之三〕『秋』の〔第2回:27~48句〕である。

【松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之三〕『秋』〔第2回〕】

 猿蓑集 巻之三     秋

  元禄二年翁に供(ぐ)せられて、みちのくより三越路(注1)にかゝり行脚しけるに、かゞの國にていたはり侍りて、いせまで先達(さきだち)けるとて
27いづくにかたふれ臥(ふす)とも萩の原  曾良
【意】私(=曾良)は、師翁に別れを告げ先立つが、病身なので旅の途中に何処かで行き倒れになるかもしれないが、一向に構わない
 何となれば、今の季節、其処はきっと萩の花が咲く美しい萩野原だろうから
【解説】芭蕉『奥の細道』山中の条に「曾良は腹を病て、伊勢の国長嶋と云所にゆかりあれば、先立て行に」として、「行行(ゆき/\)てたふれ伏(ふす)とも萩の原 / 曾良」の句形でみえる
 この曾良の句は、「いづくにかねぶりねぶりてたふれ伏さむと思ふ悲しき道芝の露〔【意】仏の教えに目覚めない儘いたずらに夜々の眠りを重ね、果てはどの路傍に倒れ伏すのだろうか、そう思うことが悲しい、道芝の露の様に儚い此の身であることだ〕」(西行/山家集)を踏まえた句
  『曾良旅日記』の「俳諧書留」にも『猿蓑』と同じ「いづくにか‥」の句形で所載されており、此方が初案 /『奥の細道』の「行行て‥」は芭蕉が改めたものとみられる
(注1) 三越路:越後・越中・越前

28桐の木にうづら鳴(なく)なる塀の内  芭蕉
【意】高い塀で囲まれた立派な屋敷内に高く聳える見事な桐の木が見える
 その塀の中から鶉の鳴き声が聞こえて来る
【解説】元禄03(1690)年作 / 作句の場所は不明だが、「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」(藤原俊成『千載集』)を本歌としている為、京都での作か / 又、同年九月六日付、江戸勤番中の菅沼曲水宛書簡に「うづら鳴なる坪の内と云(いふ)五文字、木ざハしやと可ㇾ有を珍夕にとられ候」とある / 大阪蕉門の濱田洒堂(=珍夕(?-1737?))が「椑柿(きざはし)や鞠(まり)のかかりの見ゆる家」(江鮭子(あめご))の句を作っていた為改案したとある
 山本健吉は『芭蕉/全発句』で以下の様に述べている
 藤原俊成の「夕されば‥」の歌を本歌としている / この歌は荒蕪の感じを詠んでいる / 萬葉集では「鶉鳴く」は、「古(ふ)りにし里」の枕詞で、矢張り住み棄てて、草ぼうぼうの荒れた里の意味 /その語感の伝統が、俊成の歌を経て、芭蕉の此の句迄及んでいる〔中略〕退転した豪家で、破れた築地塀の中に鶉が棲む迄に草が生い茂っているのである〔中略〕当世風から逃れ、中世的な世界を振り返った芭蕉の姿勢が其処に見える

29百舌鳥(もず)なくや入日(いりひ)さし込む女松原(めまつばら)(注1)  凡兆
【意】百舌鳥(もず)が鳴く秋の季節の夕暮れ間近の情景
 入日が真横からさし込んで来て、赤松林の松の赤い幹を照らし出している
(注1) 女松原(めまつばら):赤松林

30初雁(はつかり)に行燈(あんどん)とるなまくらもと  亡人 落梧(注1)
【意】初雁の渡る秋の夜は人恋しくうら寂しい気分だ
 だから枕もとの行燈は持って行かないでその儘にして置いて欲しい
(注1) 落梧:岐阜の商人、安川助右衛門 / 元禄04年05月13日没

  堅田にて
31病鴈(びょうがん)の夜寒(よざむ)に落(おち)て旅(たび)ね哉(かな)  芭蕉
【意】晩秋の一夜、私は病を得て堅田の落雁の地で旅寝の夜を過ごしている
 その心境は、病雁が一羽群れから外れて湖に落ちていく場面と重なり合う
【解説】元禄03(1690)年9月26日付、茶屋与次兵衛(昌房)宛 芭蕉書簡に「昨夜堅田より致帰帆候。〔中略〕拙省散々 風引候而、蜑(あま)の苫屋(とまや)に旅寝を侘て風流さまざまの事共に御坐候」として、此の句を報じている
 琵琶湖西岸、堅田は近江八景の一つ「堅田の落雁」で有名
  『本朝文選』所収、千那の「近江八景ノ序」等にも、此の句の病雁を音読しており、句調からも、音読を可とする
  『猿蓑』編撰に際し、次の句「海士(あま)の屋は‥」と並べ、去来は此の句「病雁の‥」を採り、凡兆は次の句を推し二人の意見が対立、芭蕉に乞うて、二句共に入集した事情を『去来抄』(先師評)は伝えている 〔以上、宮本三郎 校註「ひさご・猿蓑」〕
 又、此の句は其角の『枯尾花』に「病雁(やむかり)のかた田におりて旅ね哉」
 更に又、義仲寺発行の『諸国翁墳記』には「夜寒塚 江州堅田本福寺ニ在 / 角上建」の詞書に続き、「病雁の堅田におりて夜寒哉」とある

32海士(あま)の屋(や)は小海老(こえび)にまじるいとゞ(注1)哉(かな)  同
【意】漁師の貧しい家に入ったら、獲ったばかり小海老の籠の中にエビコオロギ(竈馬(カマドウマも))も一緒になって飛び跳ねていた
【解説】この句は嘱目吟(注2) /「海士の屋(=海士の苫屋)」の叙情性(注3)をパロディー化した軽みの代表作の一つ
(注1) いとゞ:エビコオロギ、カマドウマ(竈馬)
(注2) 嘱目吟(しょくもくぎん):俳諧で,即興的に目に触れたものを吟ずること
(注3)「海士の屋(=海士の苫屋)」の叙情性:見渡せば花も紅葉もなかりけり「浦の苫屋」の秋の夕暮 (藤原定家/新古今和歌集) 【意】見渡してみれば、美しい「桜花」も「紅葉」も此処にはない / 「海辺の苫ぶきの粗末な小屋」の辺りの秋の夕暮れは
 三夕の歌の一つに上げられる藤原定家の歌にも「浦の苫屋」という言葉で「海士の苫屋」の抒情性を詠んでいる

  加賀の小松と云(いふ)處(ところ)、多田の神社の宝物として、実盛(さねもり)(注1)が菊から草のかぶと、同じく錦のきれ有
  遠き事ながらまのあたり憐(あはれ)におぼえて
33むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす  芭蕉
【意】斎藤別当実盛の遺品の兜を見て、実盛の最期の話を思い出した
すると、コオロギが一匹、兜の下で寂しそうに鳴いていて、いたわしさが胸に迫って来る
【解説】芭蕉の秀句としてつとに有名 / 北枝編『夘辰集』(元禄04年刊)に、上五「あなむざんや」とあるのが初案形 / 但し『去来抄』(修行)には、「行脚の内にも、あなむざんやな甲の下のきりぎりすといふ句あり。後にあなの二字を捨らる」と見える
(注1) 実盛:斎藤別当実盛 / 初め源義朝に仕え、のち平宗盛に仕えた / 寿永02年、加賀篠原の合戦で討死 / 享年73歳 / 木曽義仲の臣、樋口二郎がその首実検に召された時のことを謡曲『実盛』には「樋口参り、たゞひと目見て涙をはらはらと流いて、あな無慚やな斎藤別当にて候ひけるにや」とある

34菜畠(なばたけ)や二葉(ふたば)の中の虫の聲(こゑ)  尚白
【意】菜畑で、菜葉を摘んでいると、菜葉の中の方から虫の音が聞こえて来る / 矢張り「秋」だなぁ
【季語】虫の聲:「三秋」/季語を言えば、「菜畠」「二葉」共に春の季語だが、此処では「虫の聲」が主題の為、秋の句として掲出

35はたおり(注1)や壁に來て鳴(なく)夜(よ)は月よ  風麥
【意】ウマオイが家の壁に来て「スーイッチョン」と鳴いている / ウマオイが鳴く夜は月が出ていて美しい秋の夜である
(注1) はたおり:「はたおり」はキリギリスのこと / 但し、此の句でいう「はたおり」は「馬追(ウマオイ)(バッタ目キリギリス科)」のこと /「スーイッチョン」という鳴き声が馬子が馬を追う声に似ていることからこの名が付いた

  いせにまうでける時
36葉月(はづき)也(なり)矢橋(やばし)に渡る人とめん  亡人 千子(ちね)
【意】今は八月だから琵琶湖の湖面が荒れる / だから矢橋へ渡る舟に乗ろうとしている人に「乗るな」と言いたい
【解説】向井去来の妹千子(ちね)は去来と貞亨03(1686)年08月に伊勢参宮の折の吟
大津松本の石場から矢橋へ舟便一里(cf. 陸路瀬田橋を巡ると二里歩く)の渡しは、2月と8月 琵琶湖がよく荒れた

37三ケ月に鱶(ふか)のあたまをかくしけり  之道
【意】三日月の夜のことだった / 鱶(ふか)が海面に浮かんで来たと思ったら又直ぐ海中へ潜って仕舞った / きっと三日月を釣針と勘違いした様だ

38粟稗(あはひえ)と目出度(めでたく)なりぬはつ月(づき)よ  半残
【意】初月夜の季節(=旧暦8月初旬)にもなると粟(あわ)も稗(ひえ)も黄色く実り始める / あと十日程すれば月も素晴らしい中秋の名月になるだろうよ
【季語】「はつ月よ」:初月夜(はつづきよ) / 仲秋の初めての冴え亘る月、即ち陰暦8月2~6日頃のまだ細い月 / その後満ちてゆく月を期待して愛でる

39月見せん伏見の城(注1)の捨郭(すてぐるわ)(注2)  去来
【意】本年中秋の名月(旧暦八月十五夜の月)は、廃城となって久しい伏見城の捨郭で行おう
【解説】伏見城は、元和09(1623)年 破却されており、『猿蓑』が監修された元禄04(1691)年時点で、廃城となって70年近く経っていた
(注1) 伏見の城:伏見城 / 伏見城の歴史を以下に略記する
 文禄03(1594)年 豊臣秀吉が隠居後の住まいとして築城・入城(『指月(しづき)』伏見城)
 文禄05(1596)年完成直後、慶長伏見地震で倒壊
 慶長02(1597)年 指月伏見城から北東約1㎞の木幡山(こはたやま)に築き直された(『木幡(こはた)』伏見城)
 慶長03(1598)年 秀吉はこの伏見城内で没
 慶長05(1600)年 07月18日~08月01日 伏見城の戦いで鳥居元忠以下1,800人が討死し落城・焼失
 慶長07(1602)年 この頃、徳川家康が伏見城を再建
 慶長20(1615)年 閏6月13日(08月07日) 一国一城令
 元和05(1619)年 伏見藩廃藩(藩主内藤信正は大阪城代へ、伏見城は伏見奉行管轄となる)
 元和09(1623)年 徳川家光(1604-51)が伏見城にて将軍宣下を受けた後、一国一城令に基づき廃城となる
(注2) 捨郭(すてぐるわ):城外に築造した合戦用の前線装置で、敵に攻撃をさせて容易に敵を食い止める様に作られた郭(くるわ)(注3)のこと
 城外に郭を設け堀を掘り、普段は塀をかけず、橋をはねて置き、敵が攻め寄せても本城際に迫れない様にしたもの
(注3) 曲輪・郭・廓(くるわ):城・砦の内外を土塁、石垣、堀等で区画した区域の名称
翁を茅舍に宿して

40おもしろう松笠もえよ薄月夜(うすづきよ)  伊賀 土芳
【意】折角芭蕉翁が来訪して下さったが、もてなすものもない侘びしい庵だ
 せめて松笠が確りと燃えて、寒さを感じる様になった秋の薄月夜に趣を添えてくれるといい
【季語】薄月夜:「秋」/ うっすらと月に雲がかかった月 / 松笠:「秋」/ 二季語になっている
【解説】前書の通り、元禄03(1690)年03月11日、芭蕉は土芳の「蓑虫庵」に招かれた
服部土方(1657-1730)自筆『庵日記』元禄元年三月の条に、「十一日芭蕉翁を宿する夜」と詞書し、「おもしろう年まつ笠燃よ朧月」の句形で見える
 芭蕉が、下五を春の季語『朧月』から、秋の季語『薄月』に改作して『猿蓑』巻之三「秋」に入集したものとみられる

  加茂に詣(まう)づ / しでに涙のかゝる哉(かな)と、かの上人のたなこのやしろの神垣(かみがき)に取(とり)つきてよみしとや
41月影や拍手(かしわはで)もるゝ膝(ひざ)の上  史邦
【意】月影(=月の光)が射し込む神殿で拍手(かしわで)を打つ / その手の影が膝に洩れて映った
【解説】前書の「たなこ」は上加茂の末社棚尾の社、「たなう=棚尾(たなお)神社」の誤り
  『山家集』に「そのかみまゐりつかうまつりけるならひに、世をのがれて後も加茂に参りける。年たかくなりて四国のかたへ修行しけるに、又帰りまゐらぬこともやとて、仁安(にんあん)三年十月十日(1168年11月18日)の夜まゐり幣まゐらせけり。内へもいらぬことなれば、たなうの社にとりつきてまゐらせ給へとて、こころざしけるに、木の間の月ほのぼのに常よりも神さびあはれにおぼえて詠みける。 『かしこまる(注1)四手(しで)(注2)に涙のかかるかな 又いつかはと思ふあはれ(注3)に』」と詠んだ西行(1118-1190.03.31)の歌を parody化している
(注1)「かしこまる‥」:【意】畏まり謹んで奉る幣(へい)(注4)に涙がかかるよ
四国行脚へ出かける自分はいつ又お参り出来ることか、ひょっとしたら出来ないのではないかと思うと
(注2) 四手(しで):玉串に付ける木綿(ゆう)又は紙
(注3) あはれ:ひょっとしたら、これが最後かと思う感慨
(注4) 幣(ぬさ):神前に供える布帛(ふはく(きれ地))

  友達の、六條(注1)にかみそりいたゞく(注2)とてまかりけるに
42影ぼうしたぶさ(注3)見送る朝月夜(あさづきよ)  伊賀 卓袋
【意】明け方前の朝月夜と共に京都東本願寺へ出かける人の後ろ姿を影法師が見送っている様に見える
 仏門に入るのだろう、多分その人は‥、だから髻(もとどり)を結った髪型もこれで見おさめか?
【解説】前書の「六条にかみそりいただく」は、猿雖(注4)が東本願寺から法名を頂戴しに行ったことをいう
 又、「影法師に対して、髻(もとどり)の見おさめと思へる底意、おかしみもありて、朝まだき旅立に朝月夜とふまへたり」(猿蓑さがし)とある
(注1) 六條:京都六条にある東本願寺のこと
(注2) かみそりいたゞく:現代では「帰敬式(おかみそり)」を受けると「釋」の字を冠した二字の法名を本願寺から賜ることだが、当時は仏門に入ることか
(注3) たぶさ:もとどりを結った髪型のこと
(注4) 猿雖:本名 窪田惣七郎(1640-1704) / 俳号 猿雖 /意専 法名 / 通称 惣七 /伊賀上野の門人
 内神屋(うちのかみや)の屋号を持つ商人で、富豪 /服部土芳に次ぐ伊賀蕉門の重鎮

43ばせを葉(は)や打(うち)かへし行(ゆく)月の影  乙州
【意】芭蕉の大きな葉が風に揺れている
 それにつれて葉の表面に映っている月影も同じ様に動いている
【解説】立花北枝編『卯辰集』(元禄04年刊)に「芭蕉葉の打かへされし月夜かな」とあるのが初案か

44京筑紫(きゃうつくし)去年(こぞ)の月とふ僧(そう)中間(なかま)  丈艸(注1)
【意】今秋の名月の夜でのこと‥、仏門に入った二人は、互いに京都と筑紫の昨年の名月を鑑賞した時の様子を尋ね合った
【解説】ここに僧二人は作者丈艸と、元禄02(1689)年故郷長崎に行っていた向井去来(1651-1704)とみられる / 作句は元禄03(1690)年
(注1) 丈艸:内藤丈草(じょうそう(1662-1704)) / 尾張藩犬山領主成瀬家家臣 内藤源左衛門の長子 / 生母とは早くに死別し、継母に育てられる /元禄元(1688)年 病弱の為、致仕し、異母弟に家督を譲り、翌年芭蕉に入門 / 元禄06(1693)年 近江国松本に移り義仲寺無名庵に住す / 名 本常(もとつね) / 通称 林右衛門 / 号 丈草 / 蕉門十哲の一人

45吹風(ふくかぜ)の相手(あひて)や空に月一つ  凡兆
【意】秋風が吹く夜、この秋風に対するのは夜空に浮かんでいる月一つだけだ

46ふりかねてこよひになりぬ月の雨  尚白
【意】今日迄は何とか雨にならずに来たのに、肝心な中秋の名月の今夜についに雨が降るとはなぁ‥

47向(むき)の能(よ)き宿も月見る契(ちぎり)かな  曾良
【意】明月を見るに此の家の方角がとても良い
其処へ招かれて素晴らしい月を見られるというのも、何かの定めか、良縁が契られていたのではと、その幸いを喜んでいる
【解説】「月を詠むるによき家といふ事を向きのよき宿と云たる也。尤(もっとも)旅店とは聞こへたり。是も月を見るに深き契りのある宿にや、けふに際りてよき家に泊りたるは一入の幸也といふ意也」(猿蓑さがし)

  元禄二年つるがの湊に月を見て、気比(けひ)の明神に詣(まうづ) / 遊行上人の古例をきく
48月清し遊行(ゆぎゃう)のもてる砂の上  芭蕉
【意】歴代の遊行上人が運び込み続けて、霜が降りた様に真っ白に敷き詰められた神前の砂が月に清らかに照り映え荘厳で美しいことだ
【解説】時宗の二世遊行上人が、その昔、この神宮付近が泥檸で、参詣の人々の難儀するを見て、僧尼群衆と共に土砂を運んで泥沼を埋めて通路を開いたのが古例となり、歴代の遊行上人が廻国の折、敦賀湾の白砂を神前に運び献ずる「砂持の神事」が執り行われることを聞いて詠んだ句
 真蹟短冊の「なみだしくや遊行のもてる砂の露」が初案、服部嵐雪編『其袋』(元禄03年刊)に、「気比の宮へは遊行上人の白砂を敷ける古例ありて、この比もさる事有しといへば」と詞書して、「月清し遊行のもてる砂の露」とあるのが再案とみられる
 元禄02年には第43世尊真上人の砂持が行われた〔以上、宮本三郎 校註『ひさご・猿蓑』より〕

【小生comment】
 流石、『猿蓑』である。
 今回も数多くの秀句を鑑賞することが出来た。
 次号《会報》以降もお楽しみに!

■さて次の話題は、昨日07月29日(土) 豊田市美術館『奈良美智(よしとも)』展→ラーメン陣屋→三菱東京UFJ銀行貨幣資料館『広重/二つの近江八景』展を見て来たのでその模様についてお伝えする。

【豊田市美術館『奈良美智』展】
 以下に本展の展示目録と共に記されていた「for better or worse 奈良美智(1959.12.05- )」から、最後のphraseをご紹介したいと思う。
 作家としての自分が形成されたのは、明らかに通常よりもちょっと長い学生時代にあった。
 もちろん高校卒業までの多感な時期を過ごした青森での記憶やその風景は、自分の根底に逃れられない無意識として存在しているし、その影響は作品にも顔を出す。
 しかし、自覚的に美術という未知の世界に飛び込み、必死に息継ぎして泳ぎながらの学生時代は、自ら思考し行動する自分を作り上げてくれた。
 そんな世界への入口があった、愛知県という地での展示に大きな意味があるはずだ。
 僕は、自分の世界観を作り上げたいろいろな事象を豊田市美術館に並べてみることから始めようと思っている。
 10代の頃から集め始めたレコードや昭和風な人形たち、本棚の中の思い出深い書物。
 そして、80年代から始まる自分の絵画史だ。
 世界に散らばっている、自分が思うところの代表作をここに集めてみることにした。
 そこに最新作を加えて展示を構成する。
 1987年、県立芸大の大学院から旅立ってちょうど30年目の2017年。
 この展覧会自体が自分にとって遅すぎる卒業制作のような気もする。
 それは、これから作家としての自信と誇りを持って生きていくための決意表明でもあるのだ。

[01]豊田市美術館駐車場から美術館へ向かう途上にある本企画展看板(右)と拳母城(七州城)

[02]同美術館入口の本展看板前にて
                  
[03]本企画展の関連Goods

[04]奈良美智『The Girl with the knife in Her Hand』1991年
                  
[05]同『Under the Tree』2006年

[06]同『Midnight Surprise』2017年
                  

【小生comment】
 本展の図録は後日郵送ということの為、現時点では本展について詳細をお伝えすることが出来ない。
 9月に入ったら、図録が郵送されて来るので、到着後、改めて本展をご紹介してみたいと思っているので、お楽しみに!

【三菱東京UFJ銀行貨幣資料館『広重/二つの近江八景』展】
 豊田市美術館の次に、名古屋市東区赤塚町(赤塚交差点南西側)なる三菱東京UFJ銀行貨幣資料館で現在開催中の『広重/二つの近江八景』展を見て来た。
 本展について、本展leafletより引用してご紹介する。

[07]近江八景の位置関係を表した地図


※ 広重と近江八景 ※
 中国湖南省の同国最大の淡水湖、洞庭湖付近の名勝「瀟湘八景」に倣い、近江の琵琶湖湖畔の名勝8箇所を選んだものが「近江八景」。
 八景のtitleは、前半2字が地名、後半2字が季節や天候を象徴的に表している。

[1]「瀬田(=勢多)夕照(せたのせきしょう)」(瀬田の唐橋の夕暮れ)
[2]「石山秋月(いしやまのしゅうげつ)」(石山寺の秋の月夜)
[3]「粟津晴嵐(あわづのせいらん)」(粟津が原の松並木の晴天)
[4]「唐崎夜雨(からさきのやう)」(唐崎の松の夜雨)
[5]「比良暮雪(ひらのぼせつ)」(比良山の雪景)
[6]「堅田落雁(かたたのらくがん)」(堅田の浮御(うきみ)堂を背景に飛ぶ雁の群れ)
[7]「矢橋帰帆(やばせのきはん)」(矢橋の船着場と帆船)
[8]「三井晩鐘(みいのばんしょう)」(三井寺の鐘堂の夕暮れ)

 本展では、2つの広重の近江八景、《近江八景(栄久堂・保永堂合版 横(よこ)大判錦絵 8枚)》と《近江八景(魚屋(ととや)栄吉版 竪(たて)大判錦絵 8枚)》をご紹介する。
 前者は、天保05(1834)年、名作「保永堂版東海道五拾三次」完結直後に刊行された最初の近江八景で、近江八景の代表作。
 後者は、安政03(1856)年、広重最後の近江八景。
 猶、本展では、広重の二つの近江八景の他、森玉僊(ぎょくせん(1791-1864))が文政07(1824)年から天保12(1841)年にかけて描いたとされる「複製/名古屋名所団扇(うちわ)絵」(全22枚 浮世絵集)も展示されていた。
 又、常設展の貨幣展示cornerでは、日本最古の富本銭や和同開珎、皇朝十二銭から、天下に3枚しかないと言われる天正沢潟大判や慶長大判等の名品が展示されていた。

[08]三菱東京UFJ銀行 貨幣資料館入口
                  
[09]同資料館入口脇の本展案内看板

[10]同資料館入口にて
                  
[11]本展leaflet

[12]天正沢潟(おもだか)大判
                  
[13]慶長大判


【小生comment】
 広重の『近江八景(栄久堂・保永堂合版 横大判錦絵 8枚)』(天保05(1834)年刊)は、最も有名な近江八景の錦絵である。
 この近江八景は、昔から何回も見ているが、眼前で本物を見ると、いつも心が癒される。
 近江八景の小生なりの覚え方は、「瀬(せ)田(=勢多)・石(いし)山・粟(あわ)津・唐(から)崎・比良(ひら)・堅(かた)田・矢(や)橋・三(み)井」→「せ・いし・あわ・から / ひら・かた・や・み」と「夕照(せきしょう)・秋月(しゅうげつ)/晴嵐(せいらん)・夜雨(やう)//暮雪(ぼせつ)・落雁(らくがん)/帰帆(きはん)・晩鐘(ばんしょう)」
 位置関係は、北西から反時計回りに「比良→堅田→唐崎→三井/粟津→石山→瀬田(勢多)→矢橋」→「ひら・かた・から/み・あわ・いしやま・せた・やばせ」と覚えた。

【後記】今日最後は、08月05日豊橋市内にて開催された大学弓道部時代の同窓会の写真をご紹介してお別れしたい。
 我々大18代の同期生6人に、一年上の17代の先輩2人、一年下の19代の後輩3人の計11人が集い、17時30分~20時30分の3時間楽しいひとときを過ごした。
 11人の中には、時習26回生が2人、時習27回生1人がいる。
 小生の他、飯田H祥君【3-2】だ。

  秋立ちて 六十路も暫し 二十歳(はたち)かな  悟空

[14]大学弓道部11人の全体写真01
                  
[15]同上02

[16]小生のsnap shot 01
                  
[17]同上02

[18]飯田H祥君【3-3】(左)と中村K英君【時習27回生】(中)
                  

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  明日08月12日(土)【時習26回3-7の会/クラス会】で再会しましょう!
 では、また‥〔了〕

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